クリスマス! 真の平和の祭!

光延 一郎 SJ (社会司牧センター長)

168-01-1

今年の待降節は「特定秘密保護法」の強行的な採決の騒ぎで始まりました。
おかげで私はまたしても、7年前(2006年)の12月と同じように国会前の抗議集会に毎晩通うはめとなりました。あのときは「教育基本法」が改変され、日本の教育の方向が、人格の個性的完成をめざすものから、国家主義的で上意下達的なものに曲げられたのでした。その時の首相も安倍晋三氏でした。

このたびの強引な「秘密保護法」採決は、今国会で成立した「国家安全保障会議設置(NSC)法」とあわせて、次に予定される「国家安全保障基本法案」の前振りでしょう。その先にあるのは、これまでの憲法解釈を覆して「集団的自衛権」をおおっぴらに行使すること、憲法9条を事実上なし崩しにすることです。つまり、日本国憲法よりも日米軍事同盟が上に置かれる軍事監視国家体制が固められることです。これらの法律により、沖縄をはじめ米軍や自衛隊の基地、原発関連の情報などはますます隠されるでしょうし、やがて日本は米国の戦争に巻き込まれるかもしれません。国民の知る権利が制限されるばかりか、ある日突然、理由も秘されたまま拘束されないともかぎりません。その意味で、今回の「秘密保護法」の強行可決は、日本国憲法の三本柱である「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」をことごとく踏みにじるものだといえましょう。

しかしながら、急速に高まり拡がったこの法案への反対世論と、国会周辺での市民の抗議行動を見ていると、7年前のようなまったくの敗北という感覚もありません。「3・11」以後の脱原発運動や毎週金曜日の夕方に続けられるデモの経験により、人々はもっと自由に自分の意見を表明し、アッピールできるように成長してきたのだと思います。

強行採決は、法案の内容同様横暴でしたが、こんな暴力的な政治がこのまま続くとは思えません。市民は確実に怒っています。「安倍晋三は恥を知れ!」「負けないぞ、立ち上がれ!」「安倍政権の終わりの始め、民主主義の始まりの初め!」というコールは、夜空に高く響いていました。

クリスマス…。暗い夜に、永遠の神は、沈黙の内に、最も無防備でいたいけな裸の赤ん坊の姿で私たちのただ中に入られました。その身を投げ出して天を仰ぐ赤ん坊のイエスの姿は、いかなる形にも閉ざされない可能性そのもの、自由そのもの、永遠の愛に自分全部を任せている姿です。このみどり子のありさまこそ、私たちの希望であり光でしょう。

私たちの国、また世界中の子どもたちが、幼子イエスとともに安心して眠り、ほほえむことのできる社会となるように、平和の鐘を響かせながら、クリスマスの平和を祈りましょう!

イエズス会ベトナム管区のソーシャル事務局

~社会司牧サービスのためのアルベルト・ウルタドセンター~

マイケル タム SJ (AHC責任者、ベトナム)

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私たちはどのようにしてベトナム人イエズス会員の社会使徒職の歩みを語ったらいいでしょうか?私はスペイン人イエズス会員、Fernando Larranaga神父(1917-2013)の1975年からの話でもってはじめたいと思います。

1975年4月30日、ベトナム共産主義軍の戦車は、南ベトナムの大統領官邸の重たい門に衝突し、これを破壊しました。この時が、30年以上続いたベトナム戦争の終わりでした。北ベトナムと南ベトナムは一つの国に統合されました。それ以来、ベトナム全体は、新しい共産党政権のもとでの生活が続いています。

ベトナムで起きたことは、共産党が政府を維持していた時代の旧ソビエト連邦や中国で起きたことに似ています。南部の多くの人たちは刑務所や、強制労働のためにへき地に送られました。彼らは前政府の役人や軍人、そして多くのカトリックの司祭でした。新共産党政権は、彼らを重労働によって教育しなおす必要があると考えました。

新政権はまた、カトリック教会やNGOによって実行されているいかなる奉仕活動をも怪しんでいます。新政権は、NGOに社会的な奉仕活動に参加してほしくなかったのです。

ベトナム戦争以後の時代には、ベトナムはますます貧しくなっていきました。新ベトナム政権は共産主義同盟諸国から過去に受け取ってきたものを、返済しなければならなかったのです。そのとき、あるベトナム人司教がLarranaga神父にベトナムをサポートしてくれるよう頼みました。結果として、1984年、Larranaga神父は「ベトナムへの援助Aid to Vietnam」(ATV)という事務局を香港に開設し、彼は最初の責任者になりました。1994年、彼は事務局をマニラ(アテネオ・デ・マニラ大学の敷地内にあるソノラックスビルの中)に移し、そして名称を、JCEA(イエズス会東アジア管区長会議Jesuit Conference of East Asia)1 傘下の「ベトナムサービス事務局Vietnam Service Office」(VS)に変更しました。VSの目的は、孤立していたベトナムのイエズス会地区とイエズス会総長の架け橋になることと同様に、福音宣教、教育、社会開発という3つの主要分野のためのプロジェクトをサポートすることによって、ベトナムを支援することです。Larranaga神父は、ベトナムで多くの地域の小教区司祭とシスターたちとのネットワークを通して、社会活動を続けることができました。

  1. JCAP(Jesuit Conference of Asia Pacific)の旧名 ↩︎
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VSの仕事は、もう一人のスペイン人イエズス会員、Felipe Gómez神父(1996-2008)によって続けられました。Larranaga神父とGómez神父の目立たない長期間にわたる仕事は、大いに成果をあげました。多くのプロジェクトがベトナム中に行われました。たくさんの貧しい人たちはサポートを受け、彼らの生活は変わりました。2007年に、VSはベトナムへと移され、「社会司牧サービスのためのアルベルト・ウルタドセンターAlberto Hurtado Center for Social and Pastoral Service」(AHC)という新しい名称になりました。ベトナム人イエズス会員マイケル・タム神父(筆者)は、現在、Gómez神父の後任者です。

ベトナム南部の多くの人たちと異なり、ホーチミン大司教区のPaul Nguyen Van Binh故大司教は、1975年4月の出来事は、ベトナムカトリック教会を、以前の富(多くの学校、病院、多くの社会センター)から浄化した、という見方をしました。ベトナム南部のカトリック教会が事実上、ほとんど全ての財産を失ってしまったとき、教会はより霊的になり、そして何よりも誰よりもまして神様を頼りにしたのです。さらには、ベトナム南部が共産主義者によって解放されたとき(共産主義者たちはいつもそのように言います)、ベトナムのカトリック信徒は、共産主義者や彼らの無神論的な考えと対話する機会が与えられました。そして、ベトナムカトリック教会の社会奉仕活動は成果を上げながら続けられたのです。

1980年後、若いベトナムのイエズス会地区はキリストの苦悩を経験し始めました。つまり、全ての外国人イエズス会員はベトナムから追放され、ほとんどの若いイエズス会司祭たちは牢獄に入れられ、全てのイエズス会の建物は差し押さえられ、そして若い神学生は養成施設も、養成の指導者もなくしてしまったのです。ベトナムのイエズス会地区は2005年まではアンダーグラウンド化しましたが、ついに2007年、イエズス会の中で最も若い管区であるとみなされました。今では、神様はベトナム管区に大変多くの召出しを与えてくださいます。現在、ベトナム人イエズス会員の数は197人ですが、その5分の4は、養成期間中なのです。

2007年にマニラからサイゴンへ住所を移したAHCは現在、多かれ少なかれ、Gómez神父の時代と同じ社会活動をしています。大変多くの若いイエズス会員を抱えているベトナム管区は、優先的に彼らの養成を行っています。それにも関わらず、AHCに常駐しているイエズス会員の数は二人だけです。一人の司祭と一人の中間期生です。このようなヒューマンパワーを欠いた状況の中で、AHCは現実的には、寄付者とベトナム人司祭と社会開発のプロジェクトを実行しているシスターたちとの架け橋になることを引き受けねばならないのです。社会開発の多くのプロジェクトにおいて他の人たちと共に働くことは、今では、AHCの一つの強みです。

AHCが始めた一つの新しい活動は、ソーシャルワーク、社会開発、そして社会正義の喚起に関するワークショップセミナーを組織することです。AHCはカリタスベトナムや他の修道者や司祭とのネットワークと連携して活動しています。このような協力関係は、単にヒューマンパワーの欠如という理由だけでなく、最新のイエズス会総会の教令(第34回総会「一般信徒との協力」、第35回総会「ミッションの核心における協働」)に応えるためでもあるのです。

Larranaga神父とGómez神父がされた前の仕事は、ベトナムで続けられるべきです。イエズス会ベトナム管区の社会使徒職の歩みは、他のベトナム人イエズス会員からもまた伝えていく必要があります。AHCはより多くの若いベトナム人イエズス会員が基礎的養成を終えるまで、持ち堪えなければなりません。他方で、他の管区のイエズス会員や他の人たちとの協力関係は、AHCにとっては、現実的な事柄ipso factoなのです。

どうぞ遠慮せずに私にいつでもご連絡ください。AHCの仕事に関心を持っていただきまして感謝いたします。

教皇フランシスコ:『福音の喜び』

安藤勇 SJ (イエズス会社会司牧センタースタッフ)

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2013年11月半ば、教皇フランシスコは、イエスの宣べた福音の喜びについて、最初の長文の公文書を、全キリスト教徒に向けて発表しました。その文書は使徒的勧告であって、社会的な文書ではないのですが(184)、教皇フランシスコは、ヨハネ23世と第二バチカン公会議からベネディクト16世までに続く前教皇たちの教えに従って、現代社会に関するカトリック教会の立場を提示しています。

その使徒的勧告は、長文であって(A4で約80ページ)、この短いスペースで、それを要約することは不可能です。彼は教会とキリスト者が、すべての人々、特に、貧しく病気の人々、さげすまれ忘れられている人々と心を通わせるよう招いています。 彼の現代社会に対する取り組みは、第2章Ⅰの「現代の世界からの幾つかの挑戦」にはっきりと示されています。そこでは、現在の経済システムが、その根本において、不正なものであると弾劾されています。このような経済は、人を殺します。排除されるのは、搾取される人々ではなく、社会から見捨てられた人々、残りものとなった人々です。彼は、「どうして年老いた路上生活者が野ざらしで死ぬとき、それが新聞の記事にならず、株式市場が2ポイント損失するときは記事になるのか?私たちは人々が餓死していく一方で、食物が捨てられていくとき、傍観し続けることができるだろうか?」(53)と嘆きます。市場の自律性は、広くはびこる汚職を伴いながら暴力的な支配体制となってきています(56)。奉仕するのではなく、むしろ支配する財政システムにはノーです(57-58)。現在の財政的危機は、人間的な卓越性の否定にその根をもっているのです!私たちは新しい偶像を作ってしまった、すなわち、お金に対する偶像崇拝です(55)。「暴力を生み出す不平等にはノーです。現在多くの場所で、私 たちはより強固な安全保障を要求しているのを聞きます。しかし、社会と人々の間における排除と不平等が逆にされない限り、暴力を除去することは不可能でしょう」(59)。

教会の社会教説に関して、教皇フランシスコは、不確かな難しい事態について、教会の教えが、新しい更なる発展に従属すべきであり、議論に開かれたものであるはずだ、とキリスト者に思い出させます。今なお、実践的な結論を引き出す必要があるのです。「宗教は個人的な領域にのみ限定されるべきであり、天国へ導くため、魂を備えるためだけに存在している、などと主張することは不可能です」(182)。もし本当に「社会と国家の公正が政治の中心的な責務」であるならば、教会は「正義の闘いにおいて傍観者になってはいけません」(183)。「今日において、歴史的に最も基本的な、二つの大問題が、私を驚かせ、これからそれを中心的に取り上げる予定です。まず第一に、貧しい人々を社会の中につつみ込むことであり、第二に、平和と社会的な対話を促進することです」(185)。「貧しくなり、そしていつも貧しい人や見捨てられた人の近くにいらしたキリストへの私たちの信仰は、最も社会に無視されているメンバーたちへの総合発展への関心の基盤です」(186)。

貧しい人々への関心と配慮は、教皇フランシスコ在位における重要な関心事の一つです。第4章「福音宣教の社会的次元」において、彼は「貧困や脆弱さの新しい諸形態へと近づいていくことは不可欠なことです。その中にあって、苦しんでいるキリストを認める呼びかけがある」と明言しています。「私は、路上生活者や中毒症者、難民や原住民、ますます孤立化し、見捨てられていくお年寄りや、その他多くの人々のことを想像します。移住者たちは、私に特別の挑戦をしています」(210)。「私は常に、様々な種類の人身売買の犠牲になっている多くの人々のことで悲しんできました」。このような卑劣な犯罪のネットワークは、秘密の倉庫の中や、売春組織の中、又は物乞いのために利用されている子どもたちの中で、正当な手続きを経ない搾取する労働において、毎日、人を殺しているのです(211)。

書評:『集団的自衛権の深層』

松竹信幸 著 / 平凡社 / 2013年9月

山本啓輔(イエズス会社会司牧センタースタッフ)

安倍政権は、集団的自衛権の行使を禁じる憲法解釈の見直しについて、来年夏に先送りする方針を固めたといいます。本書では、安倍政権がその実現に執念をもやす「集団的自衛権」とは、そもそも一体どんなものなのか、集団的自衛権行使の実例や国際法の解釈を検証しながら、日本国内ではあまり知られていないその実像を浮き彫りにしています。そこで明らかになるのは、実際の集団的自衛権の行使は、侵略のための武力攻撃の口実にしか使われていなかったという事実です。安倍政権はそうした事実には目を向けず、国民に対し「虚構の論理」を駆使して、その必要性を強調しています。虚構の論理の最たるものは、集団的自衛権を行使するのが普通の国であって、それを憲法で禁止する日本は、世界から見ると特殊だ、というものです。しかし、実際に集団的自衛権を行使できたのは、米国や旧ソ連などといった超一級の軍事大国でしかなかったことが暴露されます。安倍政権がそれでも集団的自衛権にこだわる理由を著者は、日本の軍事力の世界への誇示と、米国の軍事政策に対する忠誠を示そうとする、日本政府による日米同盟の維持の自己目的化、の内に見て取ります。

本書の後半で著者は、日本が世界の平和に貢献するための、集団的自衛権に代わる対案を提示します。自衛隊の平和活動は「他国の人々の命を奪わない」ということを基準として、武力紛争の間に、非武装・丸腰で割って入り、停戦を実現し、監視する役目を果たすことだと述べています。著者は平和のための行動原則とは、「(他国が)侵略されれば助けるし、侵略すれば批判する」ことだと言います。この話を読んだとき、ひとつの連想がよぎりました。「(他者が)いじめられれば助けるし、いじめれば批判する」と。世界の平和秩序の構築の基準が、私たち一人ひとりの集団での人間関係の、当たり前であるべき原則にまで還元されることに、驚きと共に納得がいきました。

カトリック 世界のニュース(174)

アルン デソーザ SJ(司祭)
村山 兵衛 SJ(神学生)

シリア紛争最大のキリスト者虐殺

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11月4日(CWN):シリア正教会S・ブトロス・アルネメ大主教によると、シリア中西部の町サダドで45人のキリスト者が反乱軍に虐殺された。イスラム反政府勢力は、10月21日に町に入ったが、一週間後に町は政府軍に掌握された。「サダドで起こったことは、過去二年半で最も深刻かつ重大なシリアのキリスト者虐殺です」と、同主教はFides通信に語っている。 「45人の罪なき民間人が理由もなく殉教を強いらされました。そのうち何人かは女性と子どもたちで、多くの人が集団墓地に投げ入れられました。他の民間人も恐怖に脅かされており、30人が負傷、10人が行方不明です」。

北朝鮮が80人を公開処刑

11月12日(ワシントン•タイムズ):韓国の中央日報によると、北朝鮮最高指導者金正恩は、11月3日に80人を公開処刑させた。これは父の死後に権力を継承して以来、初の公開処刑である。北朝鮮の7都市で、韓国製のビデオや「ポルノ」を観たり、聖書を保有していた人々が殺された。同紙によると、約10人が市内で殺された。北朝鮮政権は、キリスト教のビデオや聖書を「ポルノ」としばしば呼び、その所持を厳禁しているとされる。

司教団、「ガーナに新しい福音宣教が必要」

アクラ、11月19日(Fides Agency):ガーナの司教団は、「社会・文化・経済状況および政治生活がイエス・キリストとの深い出会いを非常に困難なものにしている」同国での、「新しい福音宣教」の必要性を呼びかけている。ガーナのカトリック司教協議会は「ガーナが平和な国であることは経済水準に現われており、またガーナはとても宗教的な国です」と主張している。司教団は、国民レベルで礼拝や祈祷に積極的に参加している例を挙げている。

アフリカのエイズ対策に献身する教会の30年

ローマ、11月20日 (Fides Agency):ボランティアやカトリック教会の諸機関の、アフリカでHIV被害拡大の影響を受けた女性、男性、子どもたちのために取り組んできた30年の経験が、一冊の本にまとめられた(『エイズ30年全書―アフリカにおけるHIV感染の信仰に基づく省察』)。同書はエイズ患者のための活動の成功と苦闘の記録であり、世界的に流行するこの病の衝撃と、人々や地域社会の実情に関する多くの物語がまとめられている。発行はアフリカイエズス会エイズ対策ネットワーク (AJAN)。同書は文化的、倫理的な問題も論じ、地球規模の対応の必要性を強調している。

上昇の一途をたどるイラクのキリスト者移民数

バグダッド、11月21日(Zenit.org):カルデア派カトリック総大司教ルイス•ラファエルI世・サコは、日々行なわれる襲撃と爆撃が多くの移民を生んでいる状況に際して、キリスト者にイラクにとどまるよう呼びかけている。仏通信 (AFP) は、「2008年の僅かな治安改善後かすかに現われた楽観主義は、今年の流血事件の急増により破壊された」と報告している。同総大司教は、すべてが攻撃の標的でなかったとはいえ、米主導の侵攻以来10年間で61もの教会が攻撃を受け、1000人以上のキリスト者が暴力によって殺された、と述べる。

教皇の新しい使徒的勧告「福音の喜び」

バチカン、11月26/27日 (Fides/Zenit):教皇フラン シスコは信仰年の閉幕に際して、新しい福音宣教を主 題とした世界代表司教会議の実りとなる新しい使徒 的勧告「福音の喜びEvangelii gaudium」を発布した。 同勧告は、a) 宣教における教会の刷新、b) 司牧従事 者が直面する誘惑、c) 福音宣教者として神の民全 体、d) 説教の重要性、e) 貧しい人々の社会への包 摂、f) 社会における平和と対話、g) 宣教の霊的な動 機づけ、を論じる。  教皇は、ばくち的な投機や広範な汚職や利己的な脱税が横行する市場の自律性の危険(56)を指摘し、司牧従事者に襲う誘惑(77)として個人主義や、アイデンティティ危機、冷めた情熱(78)について論じる。また、宣教敗北主義に警戒し(84)、キリスト者が希望のしるしになって(86)、tenderness(温かく情け深い心)による革命をもたらす(88)よう促している。

バチカン、未成年者保護のための委員会

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バチカン、12月6日(L'Osservatore Romano):教皇フランシスコは、子どもの保護や虐待被害者への司牧的ケアへの教皇庁の取り組みにおいて、教皇自らを補佐する目的で、未成年者保護のための委員会を設立することを決定した。この決定は、枢機卿評議会が出した提案を受け入れた教皇によって、「前教皇ベネディクト16世が行ったラインに沿って決然と」続行するためになされた。

中央アフリカ共和国で集団暴力と民間人に迫る脅威

ワシントンDC、11月1日 (JRS Dispatches):イエズス会難民サービスなどの多くのNGOは、民間人を保護しこれ以上の残虐行為を防ぐために、中央アフリカ共和国で迅速な行動がとられるよう国際社会に呼びかけている。以下は、悪化する人道的状況および民間人への絶えない暴力の主な徴候である。 1. かつて反乱軍主導だった攻撃は現在、民族的、宗派的な様相を帯びつつある。 2. 中央アフリカ国内で40万人に上る国内避難民。国外に逃れた22万人の難民のうち、6.5万人は、最近の紛争の結果によるもの。 3. 160万人以上の子どもや家族に影響を与える大規模な食糧不足。 4. 蔓延する婦女暴行、無謀な殺人、誘拐、身体切断などの虐待、そして元反乱軍連合Selekaや他の武装勢力による村の略奪。 5. 子供、特に女子への様々な性暴力と性差に基づく暴力の蔓延。 6. 恐怖と報復の風潮に起因する新たな反乱民兵の誕生。数百人の武装した若者も参加しているが、その多くは強制的な徴兵に基づく。 7. 首都バンギ圏外で国連の存在感が不足し、安全性と保護が不十分なため人道的支援を訴える報道に大きな格差が生じている。

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ローマ、12月4日 (Fides Agency):国際カリタスと中央アフリカ共和国内のカリタス・スタッフによってローマで12月4日に開催された会議で、同国の劇的な人道危機が焦点になる。

ローマ、12月6日 (Vatican Radio):首都で100人近くの死者を出した衝突(12/5)の翌日、暴力を鎮圧するため、フランス軍が中央アフリカ共和国に現地入りした。6日夜の衝突では、これ以上の死亡が報告されている。5日の国連投票で軍隊に国内安定化の任務が認められると、仏は数時間以内に援軍輸送を開始。仏当局者は、今回の軍隊派遣の目的は首都バンギの最低限の治安回復と、アフリカ人主導の軍隊の支援にあると主張している。

ベトナム、21年前の衝撃-途上国支援に思う

中野 孝文 (ジャパ・ベトナム)

私は1992年に初めてベトナムを訪問し1998年まで駐在した。ドイモイ政策で海外投資を呼び込み始めた時代で、私は投資案件を求めてベトナム各地を巡り歩いた。まだ憲法改正前、ASEAN加盟前、対米国通商開始前であり、発展前のベトナム。そこには私の持っていた途上国の常識とは全く違う世界がありました。

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1. 米ドルが流通する街: 途上国はどこも外貨の獲得に苦労し外貨の規制はことのほか煩い。ところがベトナムの国内では米ドル紙幣が堂々と街中で流通していた。店の価格表示も米ドルで書かれドル紙幣で支払うとなんとお釣りがドル紙幣でもらえる。こんな途上国は私の知る限り無かった。タンス預金の米ドルが当時10億ドルとも20億ドルとも言われ、「ベトナム政府は高額紙幣を海外に印刷頼むよりこの米ドルで代用している。」と冗談を言う。当時のベトナム紙幣の最高額は5千ドン紙幣、ほどなくして1万ドン紙幣が発行された。記憶が不確かだが当時は1米ドルが8千ドン程度だったと思う。 同様に金(ゴールド)が高額紙幣を代用していた。金の指輪が使われる事が一般的で、街中には金を売買する店が多くあり、どんな小さな店にも金の含有量を量る計器と重量を計量する機械があった。

2. 治安のよい街 これほど治安のよい街は経験したことがなかった。アフリカ諸国でも先進諸国でも、比較にならないほどベトナムは治安が良かった。日本と同様に或いは日本以上に治安は良かったように感じた。勿論、スリはいる、かっぱらいも闊歩する、悪餓鬼も路上でうごめいていたが、海外生活で意識的に持つ緊張感・警戒感が消えてしまう程。やはり民間に武器が出回っていない事かと思う。ザイール(コンゴ内戦)、ナイジェリア(ビアフラ内戦)等で武器が民間に出回り、武装強盗への警戒、心構えをいつも怠らないように考え生活していた世界とは全く違った。長期のベトナム戦争から持っていた私のベトナムへの先入観は打ち砕かれた。

3. 本屋の街 よく本を読む人達だと感心した。シクロの運転手も、路上の小物売りの小母さんも、体重計りの小父さんも、無論若い学生達もよく読んでいた。横から見ると内容は判らないが難しそうな本、漫画ではない。本屋も多く街にあり思った以上に揃っていた。でも地図は無かった。観光地図はあるのだが等高線図はどこにも無い。仕方なく日本で米国防総省作成の地図を購入した。無論政府に申請すればベトナムでも購入できるのだが、海外持出禁止でした。

4. 信号のない街 ハノイ、ホーチミンの街中でも信号機が殆どありません。あっても点灯していませんでした。それだけ自動車の往来が少なかった。移動手段の主流はモーターバイク、自転車でありシクロも街中で走っていた。大通りを奔流のように流れ、この中を渡るのが慣れるまで一苦労でした。コツを掴むと気軽に渡れるようになります。日本から来られたある方はこの流れと人の渡るのを見て「流体力学の世界」と称していました。 郊外の幹線道路も驚かされます。1号線は穴だらけ、5号線は鉄道・車共用橋で3時間待ち、また各地の橋が無く、焼玉蒸気機関のボートに引かれる台船で渡るフェリーが活躍。船中子供たちのお土産売り が大活躍でした。

5. 豊富な食材 街の市場に行けば豊富な食材が溢れ活気に満ちていた。鶏、豚、鳩、家鴨など各種肉類、海・河の魚介類、各種野菜類と非常に種類が多く日本のスーパーマーケットなど顔負け。主食の米も各産地米にもち米からジャポニカ、ロング米、屑米と多種多様な米が売られていた。果物は熱帯地方独特で熟した美味しい果物が季節ごとに売られ、堪能できた。朝早くから花の市場が開き多くの人が生花を自宅用に買っている。

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21年経った今、都市には高層ビルが建ち広い道路が都市を結び自動車が走り回っている。洒落たアパート群、ゴルフ場、ホテル、病院、工業団地。大きく変貌した世界がある。しかし、発展の光の中に陰がある。ベトナムの成長の流れの中で取り残されている人々がベトナム各地にいる。我々のベトナムの草の根プロジェクトへの支援活動は、変わらずに今も必要とされています。

豊穣な自然と心豊かな人々の織り成すこのベトナムが、私は大好きです。